仕事と旅と時々ゴルフ

日々、感じたことをつづる日記です

眠らない官僚

東京都千代田区永田町駅からほど近い場所にある都市センターホテル。先日、たまたまこの前を通りかかり、14年前のことを思い出した。

 

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皇太子殿下ご臨席の会議

2005年7月11日。
量子エレクトロニクスに関する国際会議がこのホテルで開催された。正しくは、「量子エレクトロニクス国際会議2005及びレーザー・エレクトロオプティクスに関する環太平洋会議2005開会式」で(名前が長いw)、社団法人日本物理学会、社団法人電子情報通信学会および社団法人応用物理学会の共同主催の会議。

私は当時、役人をやっていて、この国際会議を国の立場から共同主催していた。内閣府から総務省に出向し、国と学会が共同で主催する国際会議運営を所掌する日本学術会議という組織にいた。社会人2年目、今思えばそんな仕事をよく任せるなあと思うのだが、天皇陛下や皇太子殿下ご臨席の会議を執り行うこともあった。

共同主催国際会議は、年間上限8件。申請ベースで共同主催での開催を受け付け、少額ながら国費が支出されたほか、内閣総理大臣による祝辞(ほとんどは文章の代読)や皇室がご臨席する機会もあった。一般的には栄誉なことなので、いろいろな学会から申請があり、私はその審査などにも携わっていた。当時の日本学術会議は、総務省から内閣府への移管準備も行なっていたため、通常業務でプラスして、法改正やそれに付随する諸々の業務を行なっていた。何をしていたかの記憶はあまりないが、とにかく忙しかったことだけは覚えている。

会議の運営面でももちろん、主催者側として参画する。通常の国際会議の場合は、支払われた国費が適切に使われているかを確認することが主な任務だったように記憶しているが、皇室が臨席する会議はまあ大変。会議当日に向け、関係各所との鬼調整が始まる。宮内庁はもちろんのこと、警察や自治体など、関係者がとにかく多い。そのため、御所から会場となるホテルまでの動線・ロジまわりについて、打ち合わせは何かと衝突がつきものだった。移動する道を完全に封鎖して、その時間帯は皇室専用道路とする必要があるからだ。

*ロジは元々、軍事用語の兵站(へいたん)が語源。軍隊の移動や支援を計画する後方支援者の動きをさす。役人のほか、大手企業やコンサルなどでも使われる。

もう15年も前のことなので、記憶があいまいだが、こんなやりとりがあった。

  • 宮内庁「前後のスケジュールの関係で、最短距離のこのルートを通りたい。」
  • 警察「この道は○○の関係で警護に不備が生じかねない。こちらのルートに変更できないか。」
  • 自治体「この日、ここでは○○のイベントが開催されているため、この時間帯に道路を完全封鎖することはできない。」

板挟みとはまさにこのことで、新米役人の私にこの状況でベストな意思決定ができるわけもなく、上司に泣きつくのが関の山だった。

ロジ周りのほかには、内閣総理大臣の祝辞やご臨席される皇室のお言葉文案を作成し、学会や宮内庁と調整するのも大切な仕事だった。大臣祝辞はそれほど文章を創作する余地はなく、閣議決定の稟議を忘れずに回し、きちんと承認されたかどうかを確認するという、いわばルーチン業務。他方、皇室の祝辞は、調整に難航した。対象となる国際会議は自然科学、社会科学、人文科学とあらゆる分野におよぶのだが、そんな専門的な会議の中身が素人に理解できるわけがなく、それにふさわしいお言葉をしたためることに苦労する。宮内庁も立場はほぼ同じ(と思う)。しかしながら、挨拶文にはいくらかの訂正リクエストが入り、そのたびに学会側に確認して文案を調整するなどしていた。

 

ロンドン地下鉄・バス同時爆弾テロが勃発

そんな、新米役人2年目の2005年。7月7日に事件は起きた。現地時間午前8時50分頃、ロンドンで地下鉄・バス同時爆弾テロが起きたのだ。準備していた国際会議は、その4日後だったが、前日だったか当日だったか、皇太子殿下自らのご意向により、(調整に難航する)挨拶文が書き換えられることとなった。一文、冒頭にテロの被害に見舞われた方への哀悼の意を示すものだった。

Distinguished participants, ladies and gentlemen,
Before giving my address, I wish to express my deep condolences on those who lost their lives in the tragic incident in London last Thursday.

宮内庁のホームページに、当時の皇太子殿下のお言葉(英語)が残っている。

www.kunaicho.go.jp

見えている視界において、この変更に文句を言うものはなかった。むしろ、直前であっても、哀悼の意を述べたいという配慮に、関係者一同、感動したのだった(ここからは単なる想像だが、どの言葉を使うか、何にどこまで言及するか、宮内庁内の調整は簡単ではなかったのではないかと思う)。

私は皇太子ご臨席の会議中、インカムをつけ、殿下の動きを見守った。喧嘩した警察の人たちとも、ここでは連携して動きをフォローしあった。そして、殿下のお言葉も含め、会議はつつがなく進行した。どこの新聞だったか、哀悼の意を述べられたことを報じる記事もあった。そんな努力の甲斐あってか、皇室下賜品(かしひん)として、貴重な品々をいただいた。「恩賜の煙草」というのがその一つで、翌年の2006年には廃止されてしまうのだが、白い箱の表に「賜」とだけかかれたシンプルな煙草をいただいた。父に譲ったら、たいそう美味しかったらしく、娘からもらったものだと自慢して、周りの仲間に配ったらしい。20本入りの煙草はあっという間になくなった。

今思えば、貴重な品だったなとネットを検索してみると、同じことを考える人というのはいるもので、ヤフオクメルカリで高額で取引されている。空き箱が5000円!今さら我が家を捜索しても、価値ある空箱は見当たらないに違いない。

 

消防庁のイベントで思い出すテロのこと 

都市センターホテルの前を通りすがった数日後、たまたま英国大使館の前を歩いていたら、消防庁が主催するイベントの入り口でテロに関する展示を見た。2005年7月7日の日付、ロンドンという場所。ぼんやり眺めながら、記憶がつながっていく。職員の方が声をかけてくれ、「元号の代わり目などは、テロが起きやすい。また、日本はテロ先進国とも言われているため、市民の皆さんも何かあれば、すぐ通報してほしい」と。そうなのか。それは何かあれば、一般市民として消防局に協力しなくては。春うららかな陽気の日曜日、市民向けにイベントを通じて注意喚起を行うなど、公務員の皆さんも大変だ。

 

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「眠らない官僚」の報道

そして、先日見かけたのが、こちらの記事。

www3.nhk.or.jp

不夜城と言われる霞が関。相次ぐ不祥事で、何かとニュースになっている官僚たちだが、毎晩、彼らの帰宅を待つタクシーが長い行列を作る。彼らの実態を丁寧にインタビューした記事だった。これはまさに、私もわずかながらに経験した、官僚の実態に近いものだった。

「乗った瞬間に『疲れたー』とか『限界だ』とか叫ぶ人もいるし、行き先を告げた次の瞬間に、いびきをかいて寝ている人もいる。朝帰りもざら。土日でも窓の明かりはついてる。消えないときなんて、ないんじゃないか」

「地方に異動が決まったというお客さん(=官僚)は『こんな地獄みたいなところもうおさらばだ!』と言ってました。よほど過酷なんでしょうね」

健康を案じ、身の危険を感じてか、自分の保険金をあげた人までいたという。

 

体調を崩した役人時代

かくいう私も、役人時代は何度か体調を崩した。特に2年目の後半、食事が喉を通らなくなり、原因不明の頭痛とめまい、吐き気に悩まされる日々が続いた。自宅近くの東京女子医大にかかり、胃カメラを何度か飲んだ。若い女医さんで、手つきは慣れておらず、今ほど麻酔も普及していなかったため、カメラを取り出すときは必ず嘔吐した。もちろん、胃の中は空っぽなので、透明な胃液だけが出た。苦しくて、涙が出た。

胃腸に異常はない。それでも解消されない吐き気。昼休みは机で伏せって仮眠を取るようになった。残業は毎晩遅くまで続き、効率などは度外視された職場環境。働かない人と働く人が明確に分離され、働く人の仕事が無条件に増えていった。終わらない仕事、出口の見えない毎日。「役人の給料は苦痛の対価である」と考えることでしか、自分たちを支える道がなかった。定時を過ぎると節約のために消される廊下の電気。古く、仄暗い廊下を歩いていると、このままどこかに吸い込まれてしまうのではないかという気がして怖かった。

次第に意識が朦朧とする。終電を待つ千代田線のホーム。こんなにつらい日々なら、いっそのこと、ここに飛び込んでしまった方が楽になれるのではないか?そんな考えが頭をよぎったこともあった。

当時、付き合っていた彼にそのことを告げると、怒りと悲しみに満ちた表情で言われた。

「そんなこというな」

でも、その言葉はどこかはかなかった。彼も同じ公務員。これほどまでに追い詰められる環境であることが、身にしみてわかっていたと思う。今、彼は元気だろうか。

時は年度末。国際会議場を視察にいくという、予算消化のための出張を組まねばならなかった。しかも、沖縄。電車に乗るのも一苦労なのに、飛行機に乗るのは、まるで罰ゲームだった。恐らく、青ざめた顔をしていたのだろう。キャビンアテンダントの人が声をかけてくれ、お水を持ってきてくれた。密室に閉じ込められて逃げ場がない恐怖を味わった。

このブログ記事を書きながら、思い出す。庁舎の最寄駅に着いて、地上に向かう階段から見上げた空を。この階段を登れば、またあの地獄の世界が待っている。今ではそれが大げさな考えだとわかるのだが、当時はただ、つらかった。

 

記事を読んで思うこと

公務員は公僕とも言われ、国民や市民のために尽くすことが求められる。立場上、そういった期待があることは否定しない。ただ、この記事にあるように、日夜業務に追われ、国会対応に追われ、政治家やマスコミ、国民から厳しい目線を投げかけられながらも、必死に戦っている人たちがいる。彼らも私たちと同じ、国民の一人であること忘れないでほしい。

 

フリーランスになって一ヶ月半、アウトローなキャリアに思うこと

この2月からフリーランスPRとして、新たなキャリアをスタートしました。タニモクとかコミュニティの勉強会で「いつかは独立したい!」と宣言していたものの、こんなにあっさり実現することになろうとは予想しておらず・・。でも、クライアントにも恵まれ、今は自分らしく生きています。再会した友人たちからは、顔つきや表情がよくなったと言われるようになりました。今までどんな顔してたんだ(笑)。

こうしたキャリアチェンジをきっかけに、キャリアに悩む友人(大半が女性)から相談を受ける機会が増えてきました。意外と実は、自分と同じように悩んでいる人って多いのかもしれないなと。また、先日参加した「ZENTech Night」というイベントでは、NHKの「プロフェッショナル」で拝見して以来ずっとファンだった、森本千賀子さんのパッションあふれるお話を聞いて刺激を受け、改めて自己開示の大切さを感じました。そんな背景もあって、自分のこれまでの人生の棚卸しもかねて、ブログ記事を書いてみようと思います。

 

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久しぶりに再会した友人と訪れた、麹町のカフェ

 

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キャリアのスタートでつまずき、就職浪人

大学を卒業したのは2002年。時は折しも、就職氷河期。なんだろう、この生きづらさは・・との思いを抱えていたので、順当に就職活動ができるはずもなく、アウトローなキャリアがスタートしました。とりあえず、大学を卒業したものの、やりたいことがわからない。就職浪人をしながら、周りのすすめもあって試験勉強をして、公務員になりました。「役人」という響きが個人的には気に入っているので、こういう話をするときは、いつも役人だったと話しています。ちょっぴりの自虐とそこへの愛が込められています。

大学で言語やコミュニケーションの勉強をしていたので、なんとなく広報の仕事をしたいと思っていたら、幸運にも広報部門に配属。ファーストキャリアをPRでスタートさせることになりました。私はこれまで、いくつかの企業を転々としていますが、キャリアは一貫してPR/IRに従事しており、フリーランスPRとして働き始めたベースがここにあります。

  

就社ではなく、就職がしたかった

その後、役所をやめて、いくつかの企業で働くことになるのですが、一貫してPR/IRの仕事を続けてきました。就社ではなく、就職がしたい。幼ながらに専業主婦の母親が、家計を工面して苦労する姿を見ていたので、自分自身の力で生きていきたい、そんな思いが小さな頃から芽生えていました。そのために、プロフェッショナルといえる領域を築きたいとずっと考えていました。

なぜ、PRなのか、当時は明確な答えをもっていたわけではありません。ただ、誰かが発している意見や考え方って、実は誰かが発したもので、そういう、世論=空気感みたいなものに興味をもっていました。大学では、コミュニケーション論や言語論を選び、元々は人と相対することが好きで(今はそうでもないかも?と思うこともあるものの)、正解のない仕事を面白いと感じるタイプです。

 

世間が認める「よい」ものにのっかり、違和感に苦しんだ十数年

私が中学生の頃、父親は念願の夢だった脱サラを果たしましたが、その後、バブルが崩壊。家計はなかなかに大変で、そんなこともあってか、2人の姉はグレてしまい、家に帰ってこない始末。そんなカオスな家庭環境の末っ子として育つと、親を心配させてはいけない、自分の食いぶちは自分でなんとかしなければならない、という強迫観念にさいなまれることとなります(笑)。とりあえず、世間がいいと言っている大学に行き、いい会社に入ろう、そのためには田舎を出て東京に行こうと。家計がそんな状況だったので、実家からの仕送りをほぼもらわず(もらえず)、奨学融資ローンと奨学金、アルバイト収入でやっとのことで大学を卒業。30歳を越えた頃には、中学時代から借りてきていた奨学金、700万円相当を完済することができたのですが、当時をよく知る友人には、よくグレなかったねと言われます。なんというか、社会に対する反骨精神とか、妙な正義感だけが自分を支えていたように思います。

そんな家庭環境だったので、何がなんでも経済的に人並みの水準になりたくて、世の中がいう「よい」という基準を安易に選んできました。そこで学んだことはたくさんありましたが、どこかで自分の居場所はここではない・・という違和感を常に抱え、もやもやした社会人生活を送ることになります。その期間10年以上、ですかね。

ただ、父親の背中を見ていたので、まさか自分が会社勤めをやめることになろうとは意外だったのですが、一時期は恨んでいた父親の背中を無意識のうちに追いかけていたのでしょうか。

 

自分の人生を生きるしかない、と思って始めたフリーランス

これは万人におすすめできる方法ではないのですが、私のような不器用な職人気質なタイプは、この道は性に合っていると思います。

組織の中で期待に応えることは得意なんだけど、決して好きなわけではない。そんな自分が探していたのは、安心できる場所や関係性でした。最近話題の心理的安全、ですね。

今、PRで関わっているキャリア解放区というNPOがあるのですが、そこがまさに、それを体現しています。

career-kaihohku.org

就職活動でつまづいた若者と採用難で困っている企業とをマッチングさせる「就活アウトロー採用」というサービスを提供しています。こちら、ウェブサイトをご覧いただくとわかるのですが、かなりシュールで「ここまで言っちゃう!?」みたいな振り切れよう。彼らの考え方として、年収や会社の規模、福利厚生など目に見える条件だけで選ぶアプローチには限界がある、というものがあります。

事実、集まってくる若者と話をしていていると、世の中的に「いい」企業に入りたいわけじゃなくて、自分にとっての「いい」企業に入りたいとの思いを持っています。でも、それって、従来の探し方だと見つからない。なので、若者と企業が心理的に安全と思える場をつくり、ありのままの自分をさらけ出すことで、お互いの相性を確かめ合いましょうというサービスです。

つい先日、このサービスの開発当初から数十人も採用してくださっている外資系企業の方とお話しする機会があったのですが、誰も辞めていないとのこと(すごく嬉しかった!)。入社後のミスマッチが少ないのも、このサービスの特長です。

 

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「就活アウトロー採用」合宿のシーン、みんな本当にいい顔をしている

 

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ここの代表とは数年前、「タニモク」のイベントで出会って以来、ロックな人生を送っている人だなあと遠巻きに眺めつつ、人生の節目で相談に乗ってもらったりする関係が続いていました。まさか、その数年後、彼とお仕事をご一緒することになろうとは・・想像したような想像しなかったような、なのですが、直感的に応援したいと感じたことを覚えています。

この「共感」がどこからきているかというと、まさに、自分のキャリアがアウトローだったから。今となっては、私の生き方を面白がってくれる人も周りに増えてきましたが、転職回数をネガティブに捉える人がそれなりにいたのも事実です。ただ、キャリアや生き方に唯一絶対の正解はないし、人それぞれに適したアプローチは異なるのが自然なんじゃないかと。はたから見れば華々しいキャリアを歩んできた人たちが、私のようなアウトローな人間に、キャリアや人生の悩みを打ち明けてくれるのは、そういうことなのだろうと思います。

そんなわけで、今後、共感できる人たちを応援しながら、自分自身の過去の傷を癒し、そうしてまた、傷ついた誰かの傷を癒す助けになりたいと思っています。

 

最後に。

自分自身を知る上で、結構役に立つと思っているのが、ストレングスファインダーこのツールは、「人は自分の弱みを改善するよりも、自分の強みに意識を向けそれを活かすことで最大の能力を発揮する」という考え方に基づき開発されたもので、34項目にわたって自分の強み・弱みを知ることができます。私の周りにいるビジネスパーソンの間ではおなじみで、半ば共通言語化している空気も。キャリアや生き方に迷ったとき、こういった分析ツールで、自分の潜在的な資質を知るのも一つの手かもしれません。

こちらが私の強み上位5つと弱みの5つ。

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回復志向は物事を本来あるべき姿に戻すという考え方で、医療や福祉系の人によく見られる資質なんだそう。他方、慎重さと戦略性に欠け、競争が苦手みたいですね(苦笑)。なお、私の周りのビジネスパーソンは、私の苦手分野を得意とする人が多い傾向にあって、そういう人たちと引き合うのは面白い。自分と異なる強みを持った人たちとチームを組むと、補完関係になるそうです。

そんなわけで、私のような不器用な人間でも生きていける社会になりますように!との願いを込めて、地道にPRのお仕事を続けていこうと思います!

 

「業界レク」のすすめ

気がつけば早くも12月!こういう機会でもないと、なかなかブログを更新するモチベーションにつながらないので、今年も「広報マーケティングアドベントカレンダー」に参加することにしました。これは、12月16日(日)分となります。

一昨年参加して以来、今年で3回目。初めて参加した2年前は、PRプランナー3次試験の受験対策について、昨年はベンチャー広報担当は自身による情報発信も大事という体験、そして、今年はメディア向けの「業界レク」を実施してみて、良かったと思うことをご紹介しようと思います!

adventar.org

 

「業界レク」という言葉で、どんなものを思い浮かべますか?自分もふと気になって検索してみましたが、どうやら一般用語ではなさそう。スマホアプリを受託開発するB2B企業だった前職では、リード獲得のために、クライアントに登壇してもらうなどして、営業目的の業界レクを開催していました。今回は、メディア向けに行う業界解説のレクチャーを想定してご紹介します。

大企業であれば、年に一度、メディアやアナリスト向けに経営戦略説明会などを行い、そこで自社の戦略と一緒に触れることがあったりします。そんなわけで、既に取り組まれている方もいらっしゃると思いますが、まだという方向けに参考になればと思い、ご紹介してみます。

企画の背景
当社はいわゆるFintech業界に属する企業ですが、その事業は多岐にわたっています。PFM(Personal Financial Management)=自動家計簿・資産管理のサービスであったり、ビジネス向けのクラウドサービスであったり、仮想通貨関連のビジネスであったり。それぞれの事業ごとに市場があり、プレーヤーがあり、お客さまがあります。

そして、メディア側としても、これを業界全体でカバーするような専門紙・誌もあれば、経済紙であれば主だったものだけを扱ったり、仮想通貨であれば経済紙・誌でも主だったものをカバーしつつ、それ単体の専門媒体も存在します。そのため、媒体ごと(もっというと記者ごと)に必要としている情報が異なり&オーバーラップしたりということが起きています。ということで、今回はまず、総論としてFintech業界全体を解説する会を企画・実施し、以降、個別業界ごとにその業界に関する会を企画しました。

業界レクを行う狙い
いくつかありますが、主に記者に対して、

・業界について理解を深めてもらう
・業界における自社の立ち位置を知ってもらう

などのほか、広報部門として、

・メディアとのご挨拶や情報交換を行う
・何か困ったときに相談してもらえるような関係を築く

などがあります。

当社はいわゆるベンチャー企業に所属していますが、業界内の動きが速く、規制当局の動きもあったり(事業によっては)、自分が記者だったらキャッチアップが難しいだろうと思います。まして、業界自体が新しい企業であれば、なおのこと。そういったとき、新任記者にとって業界を総括してくれる場があればいいですよね。既にその業界を見ている記者にとっても、業界内の動きをキャッチアップする場として活用してもらうことができれば、開催する意味があります。

業界レクを行うメリット
狙いともかぶりますが、そのほかの観点として、

・一度に複数のメディア(記者)と会える
・どんなメディア(記者)が自社やその業界に興味をもっているかわかる
・資料づくりで広報担当自身が業界の理解を深められる

などがあります。参加した記者からは、次回以降も情報提供を求めるという声を多くいただけたので、次回以降の効果的な情報提供につなげたいと思います。 

業界レクを行うデメリット
業界レクだから、ではありませんが、

・場の運営はそれなりに工数がかかる(資料づくりやオペレーション)
・自社内に会場がなければ、会場費がかかる(可能性もある)
・タイミングによって集客が左右される

といったことがありましょうか。

業界レクを行ってみて
レクへの参加をきっかけに、業界について寄稿のオファーをいただいたり、個別取材につながるケースがいくつかありました。当社は業界の中で既に認知されているという恵まれた環境であることを差し引いても、レク開催による有益な効果だったと言えます。また、普段、なかなかたくさんの記者と接点を持つことは難しいので、ご挨拶したり情報交換できたことも収穫でした。広報部内でも、こういった取り組みを定期的にやりたいねと話しています。

このほか、レクきっかけで記事化につながったものがいくつかあり、特に仮想通貨関係はいくつかの記事が掲載されました。こんなにも・・というのは想定外でしたが、これはひとえにニュースやネタを探している仮想通貨業界特有のものと言えそうです。なお、海外メディアからは直接問合せ(メール)も入り、急いで回答したコメントがそのまま引用されてちょっと驚きました(ひやひやしました)。日本における業界の動きは、海外でも関心が高いということなのだろうと想像します。

掲載事例
◆Business Insider
ついに金融庁からも。日銀、経産省...マネーフォワードに集まる霞ヶ関人材
https://www.businessinsider.jp/post-180931

ITmediaビジネス
マネーフォワード、仮想通貨交換サービス2019年春の開設目指す
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1812/04/news077.html

◆仮想通貨Watch マネーフォワード、2019年に仮想通貨交換業者登録を目指すなど今後の展開を語る
https://crypto.watch.impress.co.jp/docs/event/1157266.html

◆コインテレグラフ
マネーフォワード:仮想通貨交換サービス 2019年第1四半期の開始目指す
https://jp.cointelegraph.com/news/money-forward-to-establish-crypto-exchange-service-in-1q-2019

◆CoinHack
マネーフォワードが仮想通貨取引所の詳細を発表。来年3月スタートを目標に。
https://coinhack.jp/media/articles/2784

Bitcoin.com(海外メディア)
Japan’s Money Forward Announces Details of Upcoming Cryptocurrency Exchange
https://news.bitcoin.com/japans-money-forward-cryptocurrency-exchange/

Bitcoin Exchange Guide(海外メディア)
Money Forward Of Japan Prepares To Open New Crypto Exchange With BTC, ETH And BCH Pairs
https://bitcoinexchangeguide.com/money-forward-of-japan-prepares-to-open-new-crypto-exchange-with-btc-eth-and-bch-pairs/

◆The ccpress(海外メディア)
Popular Budgeting App Maker— Money Forward Financial Inc. Announce Plans to Launch Crypto Exchange
https://theccpress.com/popular-budgeting-app-maker-money-forward-financial-inc-announce-plans-to-launch-crypto-exchange/

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レクの様子

当社は業界内でもある程度の認知度があるので、今回、たくさんの記者に集まっていただくことができました。ただ、レクを企画し始めた数年前は、数人しか集まらなかったという経験もしています(当時を知る社員談)。

ですので、業界での認知度がまだなかったり、初めて取り組む場合には、記者の集客は一旦気にせず、むしろ、来てくれる記者との関係を築くことを大切にするという観点で取り組むのが手かなと思います。そういう、創業間もないころから関係を築いている記者は、担当ではなくなった後も応援してくれたり、ファンでいてくれたりします。

Public Relationは、終わることなく続く関係性づくり。プレスリリースを書いて自社のネタを提供するというアプローチとは別に、業界のことを知ってもらい、記者に役立ててもらうという「場」をつくるやり方もぜひ、活用してみてください。

復権

復権」という言葉を辞書で引くと、失ったものを取り戻すこと、とあります。
元は法律用語で、自己破産した人などが失った権利を回復すること、有罪判決を受けた人が失った資格を、恩赦の一環で取り戻すこと、などの意味もあるよう。力強い言葉、ですね。

 

f:id:fb980844:20180926220740j:imageこの夏、西表島に行きました。海と空が優しかった

 

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この言葉を意識したのは、ベネッセという会社に勤めていたときに、瀬戸内国際芸術祭というトリエンナーレに立ち会ったときのこと。3年に一度、香川県直島を中心に、瀬戸内海十数の島々を舞台に繰り広げられる現代アートの祭典で、「海の復権」がテーマとなっていたことがありました。

 


自然豊かで穏やかな内海に囲まれた島々は、近代以降、政治的には隔離・分断され、工業化に伴う資源採掘などで荒れ果て、産業廃棄物の不法投棄や環境汚染に苦しむという悲しい歴史を背負っています。

 

これらの島々を現代アートの力で元気づけられないかと、ベネッセ(当時、福武書店)の創業者、福武総一郎氏の発案によって、建築家の安藤忠雄氏やそれに賛同するアーティストたちが集まり、その土地に根差した作品を手がけ、島民たちと力を合わせて祭典を盛り上げるようになります。今では会期中、世界中から100万人以上の来訪者で賑わうまでになりました。その後、新潟の越後妻有「大地の芸術祭」や札幌「札幌国際芸術祭」など、地域資源を活用し、現代アートの力でよみがえらせようという取り組みが続くようになったのも、この芸術祭が一躍脚光を浴びたのがきっかけでした。

 

海は、復権を果たしたろうと思います。

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去年、仲間とともに言った直島

 

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この言葉を思い出すきっかけとなったのは、とある記者との会話。彼女とは年齢も近く、考え方もちょっと似たところがあって、仕事のパートナーという関係を越えた何かシンパシーのようなものを感じていました(私が勝手に)。

 

久々に会う機会があり、仕事上の話から私生活まで、いろいろと語りつくせぬ思いを交換する中で、家族の話になりました。長女(長男)、一人っ子は親の愛をひとり占めして伸び伸び生きているけれど、次女(次男)は長女の存在が必ず先にあり、どちらかというとガマンすることが多かったと。

 

振り返ってみると、三女である私も、姉からしたら自由気ままに育っていいよねと言われるのですが、常に大人たちの顔色を見て育った気がします。いつも家族の中心に自分がいて、何か注目を集めることをすると喜ばれる。そうすると、また嬉しいから、喜んでもらえるようなことをする。自分の行動のモチベーションが、「周り」という環境にありました。周りの期待に応えるのは得意ですが、普段、それを意識することはありません。

 

f:id:fb980844:20180927225347j:image西表島から由布島に渡りました。ただひたすらに、私たちの乗った荷車をひく水牛の姿に、得も言われぬ感覚を覚えました

 

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そして、そういう人が苦手なことって、自分が本当は何をしたいか(したくないか)を自覚することで、いざ、自由な好きにしていいよと言われても、自分が本当に心から楽しめることって何だろう?って考え込んでしまいまいます。

 

恋愛でも自分がどうしてほしいかより、相手が何を求めているかをまず考える。相手の期待に応えるのは得意だけど、自分がしてほしいことが何かを気づくことも難しいし、何かそういうものがあったとしても、切り出すのが苦手。迷ったら、自分が身を引くことを選びます。

 

とまあ、そんな生き方が板についているわけですが、記者との話に戻ると、彼女もそんな背景はありつつも、最近は忙しい仕事がひと段落つく週末には、自分が本当に好きだったことに費やす時間を「取り戻して」いるのだそう。

 

映画や音楽が好きだから、映画館に行ったり自宅で音楽を聴いて過ごしたり、とにかく自分が心から楽しめるものを、誰の気兼ねもなくする。そう語る彼女の姿がとっても素敵でかっこよくて、まさに私も、その感覚を取り戻したいってずっと心の奥底で感じていたのを、言語化してもらったような気持ちになりました。

 

生涯を通じて、人は何かを手に入れ、何かを手放していくのだと思います。そうすることで人生のバランスをとっているのかもしれません。自分の元に取り戻したいものが何なのか、見つけられた人は強い。

 

これまでは、周りの期待に応えることに全力で向き合ってきましたが(それでよかったと思っています)、これからの人生では自分の期待にも応えることで、自分の心が喜ぶことも大切にしていきたいです。失った自分らしさを取り戻すような感覚、でしょうか。幸せそうに見える誰かをうらやむのではなく、自分で自分を幸せにしなければと思います。まずは、心から楽しいと思えることを思い出して、楽しむところからですね! 

 

f:id:fb980844:20180926221311j:image台風24号の影響で、船だけでなく飛行機も欠航になるということで、西表島から慌てて荷物をまとめて飛び出しました

 

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遅めの夏休みも今日で終わり。
職場の皆さんのご協力のおかげで、リフレッシュすることができました。感謝!

今日はあいにくの台風の影響で、約束していたランチと夜の約束をやむなくキャンセルしました。とても会いたかった人たちなので残念ですが、また次に会える楽しみができたということで、おうちでのんびり過ごします。
さて、来週から気持ちを入れ替えて、頑張りますかね! 

 

今日もとりとめもない話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

転職して3ヶ月、今にして思うこと

「〇〇〇〇〇(当社名)さんですよね、先日はどうも~っ!」

入社当初、たまたまメディア向けの勉強会で他社にお邪魔したとき、同僚のところに記者が駆け寄った。メディアから歩み寄られるなんてシーンを、前職で想像したことがあったろうか。自分も名刺交換をしながら、あまりのギャップに鼻血が出る思いがした。これはもしや、モテ期到来ではないかと!笑

 

転職をして3ヶ月がたったので、今日は入社直後に感じたことを書き記しておこうと思う。

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オフィスから見える景色。最近、新しいビルに移転した。オープンスペースのこの席から見える、この景色がお気に入り。

 

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大企業にいた頃は、当然のように自社をカバーする記者がいて、担当が代われば必ず後任者が挨拶に来てくれた。企業が記者を育て、記者が企業を育てる。そんな構図がごくごく、普通の景色だった。

他方の前職はといえば、名もないベンチャーだったので、代表電話にテレアポしては、「間に合ってます」とガチャ切りされたり、「何とかこのリリースだけは、お目通しいただく価値があると思うのですが!」とやっとのことで記者を捕まえても、「あー、この程度のネタだとうちでは扱えないんですよね」と一蹴される日々。

こんな生活を2年も続けると、「モテ」ないことを嫌でも認識する。これは多くのベンチャー広報担当者にとって、共通する感覚ではなかろうか。

もちろん、そんな中でも対等に接してくれる稀有な記者がいるもので、そういうときに向き合ってくれたヒトほど、私にとっては貴重な存在だったりする。

 

「今度、ごはん行きませんか?何か、食べたいものありますか?」

新卒で入った内閣府。当時、政府系の広報業務に従事していた。ちなみに、内閣府の広報室というのは、全省庁の広報予算を一括して管理しており、わが国政府としての広報機能を所掌している組織だった。ちょっと珍しい構図だ。なお、広報室といっても、民間でいうところの宣伝部門のようなところで、お金を使って広告や番組を制作する。民間でいうところの広報機能は、報道官室という別の組織が管轄していた(当時)。

私は、電波もの、いわゆるテレビやラジオを担当する部門にいた。と、話が脱線したが、仕事でお付き合いのある広告代理店の営業担当者が、食事に誘ってくれた。

収録が無事に終わり、素敵なお店でランチして、楽しい時間を過ごした(少なくとも私はそう思った)。会計は私が払いますと、彼女が領収書を切ってくれ、心から感謝して役所に戻った。

楽しい余韻冷めやらぬまま、そのことを上司に報告し、えらく叱られることになるのだが(笑)、それもそのはず。役人は利害関係者から利益供与されてはならない立場。そういう規律やモラルが、名実ともに役所内に根づき始めた頃だった。

 

「今度は割り勘で、またランチ行きましょう!」

彼女ともっと話したくて、収録で会ったときに声をかけた。だが、結果的にはランチが実現することはなかった。そう、彼女は別に、私と話がしたかったわけではないのだ。クライアントの担当者として一度、そういう形を作っておきたかったということなのだろう。社会人一年目の私の話なんて、面白くなくてもムリはない。

この件はさておくとしても、出入りするメディアの人たちが、こぞって私に頭を下げる。自分の父親ほどの人たちに気をつかわれるにつけ、「これは私に対してのものではなく、背負っているポストに対して」ということを思い知るのだった。

身分をわきまえる、ということを覚えたのは、この頃だったように思う。

 

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内閣府の同期が今年2人も結婚した。いずれも幸せそうで、とても嬉しかった。

 

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仕事は会社の看板を背負ってする。そういうものだと思う。

しかしながら、会社の信頼と自分のそれとを勘違いしてはいけないと、会社のステージが変わった今、改めて感じる。

今の時代、一つの会社で働くとは限らないし、看板は変わることもある。なくなることだってある。とするならば、最後に残るのは人としての信頼とかこの人と一緒に仕事をしたいという気持ちかもしれないなと。私は今、そんな人間になれているだろうか。

 

馴染みの記者は言う。

「前の会社で足蹴にされたんだったら、そんな記者の取材、受けない方がいいよ」

 

確かにそういう考え方もある。

しかしながら、今学ぶべきは社会の構図であり、自分の立ち位置だ。与えてもらっている立場で、自分に何ができるか。そのことを全力で考える。ただ、それだけなのだと思う。

 

ここのところ、大企業にいたころのことも思い出しながら、そんなことを振り返っていた。でも、そんな中でも思うのは、最後は自分らしく、楽しく生きることが大事なのかもしれないということ。今さら?という気もするが(笑)、いろいろな出会いや仕事を通じて、そのことを改めて感じるに至る。それは、この会社で輝くように生きている、素敵な仲間に出会えたからだった。

 

これからの人生、周りの人たちと心から笑い合いながら、楽しく生きていけたらいいなと思います。


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仲良しのお友だちとゴルフしているときが至福の時。

 

久々のブログでしたが、とりとめもない話にお付き合いくださり、ありがとうございました。

ブログをはじめて感じた、身の回りの変化(広報マーケティング Advent Calendar 2017)

昨年に引き続き、広報マーケティングアドベントカレンダーに参加しています。3日目の今日は、ブログ(個人)での情報発信を通じて感じている、身の回りの変化についてご紹介します。

adventar.org

昨年の同じ時期、このアドベントカレンダーに参加するためにブログを始めました。周りのススメがあったからですが、何を書けばいいかわからず、とりあえず自己紹介文と仕事ネタで記事を書き始めました。それがまあ、たいそう硬い文章だったため、会う人たちに「役所の文章みたい!」「どんだけ真面目なの!」とイジられまして、ああ、私の文章って硬くて真面目に見えるのね?とわかりました…苦笑)でも、新しい人たちとそういったコミュニケーションが広がっていくことが純粋に楽しく、また、自分が見る自分と他人が見る自分とのギャップが新鮮で、多くの気づきがありました。

自己開示にはリスクも伴うので、一概にすべての人にススメられるものでもありませんが(こんな私でもストーカー被害にあったり)、マイナスを補って余りあるプラス効果を実感しているので、具体的にどんなことが起きたかを振り返ってみたいと思います。

 

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今日は岐阜出張。名古屋から富山へ向かう高山本線の車中、久しぶりのブログに必死(写真は前回出張時のもの、今回は写真を撮り損ねた・・涙)。 

 

1)必要な情報が舞い込んでくる

今の自分がおかれている状況を見て、必要な情報を与えてくれる人が現れます。facebookも含めてですが、ブログでの発信を見ていてくれる人が必ずいて、自分自身では気づかないことに気づいてくれるようです。例えば・・

 

地域通貨の取り組みに関連し、業界の著名人を紹介してもらう

・飛騨の取り組み、もしかして御社?と遠いルートから知ってもらう

・他社で類似の取り組みをしているなど、関連情報をもらう

・NVCなど、物事の捉え方やコミュニケーションで役立つ概念を教わる

・この本を読んでみるといいかもと、良書をご紹介いただく

・似たようなキャリアを歩んでいるからきっと話しが合うよと広報さんを紹介してもらう

・ゴルフのお誘いを受ける

 

何か問題に直面したとき、それをどんな風に乗り切ればいいかいいか、経験者から有益なアドバイスをいただくことも増えてきました。これって自分では気づけないものがほとんどなので、本当にありがたいです。本を読んだり、他社を調べたり、新しい人に会ったりすることで、次の突破口が見えてくることも多いです。また、ゴルフやってます、というと、同じくゴルフ好きの方からお声がけいただいたりすることも。嬉しいことです。

 

2)共感の声が集まる

公私ともに感じていることを率直に書き記しているからだと思いますが、私の悩みに共感してくれた人が集まり、繋がっていくのを感じます。例えば・・

 

・記事内容への共感の声が集まる(反響が大きかったのは、一人広報の悩み

・ブログ読みました、とfacebookでメッセージをもらう

・PRプランナーのことを調べていたら、私のブログにたどり着いた(既に面識のある広報仲間から)

・広報を手伝ってほしいと言われる

・私が過去に勤めた会社に転職した人から、あの会社どう?と相談を受ける

・実は私もバツイチです、と突然告白される(嬉)

・抱えきれない悩みを打ち明けてもらう

 

私は仕事もプライベートも人との信頼関係を大切に感じるタイプなので、こういったやりとりってとってもありがたいなと感じます。

1で記したように、私も周りの人から励ましの言葉やアドバイスをいただくので、私に何か相談してくれた人たちにも同じことをお返ししています。一人広報の孤独感を分かち合って励ましあったり、PRプランナーというマイナー?な試験を受けたときの経験をシェアしたり、過去勤めた会社で私が感じていたことをお話ししたり。誰しも一人では抱えきれない悩みを抱くこともあると思いますが、そういった話が話題に上ることも多くなったような気がします。

時には、「あまり離婚の話とか書くと、重い女と思われるからやめたほうがいいよ?」というありがたいお言葉もいただいたりしますが、私としてはそのこと自体は自分の人生を豊かで味わい深いものにしてくれていると思っているので、あまり隠さないで生きていければという考えています。もちろん、声高に宣言するものでもありませんが…!(ってもう遅いか)

 

3)孤独感からの解放と感謝の気持ちの芽生え

自己開示をすることで、疎遠だった人から連絡をもらったり、誰かの支えになれたらいいなとコミュニケーションを重ねたり、そんなことを繰り返してきましたが、そのやりとりを通じて感じたのは、以下のようなことです。

 

・一人だとどうしても孤独を感じがちだが、実は同じ思いをしている仲間がたくさんいることを知る(一人広報であったり、B2B企業の広報だったり、いろいろ)

・人とのつながりが増え、自分自身が励まされる

・仲間と相談し合ったり、知見を共有しあう流れができる

・周りの人、先輩の支えのおかげだなと思い知る

  

以前、「プランドハップンスタンス」という概念を教えてくれた人がいました。キャリア理論で「計画された偶発性」という考え方なのですが、予期しない出来事や偶然の出会いがキャリア形成に与える影響が大きいという考え方です。これは本当に目から鱗で、なるほどとうなりました。情報発信することで、結果的にこういうサイクルを引き寄せているのでは、と感じた一年でした。

 

allabout.co.jp

 

まとめ

個人的な体験なので再現性がどの程度あるのかは未知数ですが、諸先輩方からも、広報自身の自己発信が大事、という話をよく聞くので、きっと大事なことなんじゃないかなって思っています。文章を書くのは慣れないし、何を書けばいいのかわからないと感じる人もいるかもしれませんが、見切り発車でもいいと思います。とにかく、一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。きっと、あなたの発信を誰かが見ていてくれます。よかったら、いろいろと情報発信してみてください。

 

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出張先の高山で地元の居酒屋に一人で入ったら常連さんと仲良くなりました、この後スナックへ繰り出し、夜は更けていきました

一人部署の悩み「自分の限界が組織の限界」

ここ数日、生死の境をさまよっており(嘘)、ブログを書く元気がありませんでした。ですが、周りの理解と温かい支えのおかげでなんとか復活の兆し・・。健康の大切さをしみじみ感じました。

 

私は今の会社(ベンチャーというか中小企業というか)で、一人広報をしています。スタートアップも含めたベンチャー企業では、一人広報によく出会います。よくあると言ってしまえばそれまでですが、やってみると気楽だけどいろいろ大変。今日は、一人部署ならではの悩みについて書いてみようと思います。

 

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この週末、香川と徳島へ合宿に行ってきました。都会の喧騒を離れ、ホテルに詰めてブランド研究の仲間とディスカッション。ベネッセや香川県の方に直島を案内いただき、「よく生きる」ということについて学んできました。

 

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一人部署は文字どおり、自分一人しか担当がいない状況を指します。企業のなりたちとして、まず必要というか存在しているのは、経営者、開発・営業、管理部門ですよね。スタートアップの場合、広告宣伝費をかけられないケースが多いので、企業の成長を後押しする上で広報はとってもいい機能なのですが(声を大にしていいたい!w)、なかなかそれを理解されるケースは少ないのが現実です。*個人的には、営業が地上戦なら広報は空中戦。上空から支援できると思っています。

そのため、私の周りでは、ある程度の規模になってきてから広報を採用するとか、営業やマーケ担当者が兼務するケースが多いようです。一人部署は気楽ではありますが、悩みといえばこちら。

 

一度にさばける仕事量が業務量のボトルネック

多い時には月に10本以上のプレスリリースをひいひい言いながら書いていました。クライアントなり協業先と連携して、メディアにアプローチしてということを繰り返すわけですが、これ、個人の処理能力がまさに、組織のボトルネックになるんですよね。まして、協業先やクライアントが大企業であることがほとんどなので、こちら側の思い通りになるケースは少なく、難しい調整を迫られることとなります。

広報業務もいくつかありますが、自社の場合、リリース発信、取材対応、イベント運営、その他(企画ものやマーケ的な仕事)などの4分類くらいに分けられます。そのうちの一つ、リリース配信の流れはざっとこんな感じです。

 

<リリース発信の流れ>
・リリースできる案件を洗い出す(自社単独なのか連名なのか確認)
・案件の確認(いつ、どんな背景で、どんなサービスを、誰が、誰に向けて、どのように開始し、どんな狙いや目的があって、今後の展開はどうなるか、など)
・リリースを書く(画像やロゴも集める)
・営業担当者にドラフトを確認する
・連名社へ確認(クライアント確認)
・知っている記者に連絡、説明に出向く
・コーポレートサイトに掲載する
・リリース配信サービスで配信する
facebookで告知する(会社のと自分個人のと)
・掲載を確認
・掲載を社内に報告&対外的にも報告(サイトとfacebook
・記者にお礼

 

この流れの中で一番頭を使うのが、そのネタをどうやって社会の文脈につなげるか、という点(案件を確認して書くあたり)。当社の場合、開発する案件がバス業界だったかと思えば、金融の領域だったり、はたまた小売や流通、鉄道、行政などと幅広いため、競合の動向や他社との違いをキャッチアップするのがなかなかに難しいです。業界によって媒体や担当記者もわかれるので、媒体をカバー仕切れないのも課題です。

ほかの工程も、作業としては地味にきいてきます。そのため、作業として切り分けられる部分だけでも事務担当者に頼めないかと相談したことがあるのですが、仕事を振れる人がいないという理由で却下され、やむなく一人で担っています(涙)。

他社広報さんは、これらに加え、採用広報やIRなどを担われているケースも。業界がある程度専業であれば問題ないかもしれませんが、一人は何かと大変ですよね。

もしあの時、私が交通事故で入院するとか、インフルエンザにかかって・・とか想像すると、たくさんのリリースが日の目を見なかったか、大幅なスケジュール変更を余儀なくされたことと思います。健康に産んでくれた両親に感謝です。

 

休暇といっても完全には休めない

仕事を振れる人がいない(少ない)ので、自分が対応しなければならないことが多く、休みの日でもPCとケータイを持ち歩くことが多くなりました。特に長期休暇で旅に出る時も、PCを持って出かけます(これはこれで、PC管理が不安なのですが…)。

なるべく、リリースなどの見えている予定がないところで休むようにしたり、休みを避けてリリース準備や取材対応をしたりしますが、問い合わせに休みはありません。何かあれば、社内チャットツールで連絡をもらったりして、折り返し対応をしています。

初めはそれが心休まらなかったのですが、最近ではケータイ・PCがないことが逆に不安になるという始末。良くも悪くも、仕事とプライベートの垣根がなくなってきていることを感じます。

 

自分の能力の限界が部門としての限界

最近、これをしみじみ感じます。経験してみて初めてわかる感覚です。

今の会社に入社したとき、社外の先輩からそういう話を聞いていたので、自分の領域を広げることに注力しました。とにかく人に会いに行き、学びの場に顔を出し、わけもわからず走り回っていたかなと。

というのも、メディアや社外広報担当者とのつながりの広さや深さというものが、広報としてのアウトプットを大きく左右すると思うからです。ここがまだまだ課題で、優秀な他社広報さんを見ては、自分はまだまだだと猛省する日々・・。

また、企画力もとても大事。リリースにはならない小さなネタでも社会の文脈にうまくつなげるとか、他社と連携して世の中の動きとして記者に提案する、などを行うことがアウトプットにつながってきます。

チームとして広報がうまくいっている会社を見ていると、自社のことをよく知っている中心人物がいて、他社でメディアリレーションをうまく築いてきた広報経験者や、メディアへの企画提案力に優れたPR会社出身者の人を採用するなど、各人が強みを発揮しながら、チームへも知見を還元するという良い循環が生まれています。そうすると、4人のチームが4人以上のアウトプットを生み出し、部門としての力が高まるのだと思います。

一人だと学べる人が社内になく、外に学びに行くしかありません。上長も広報のことをきちんと理解しているとは限らず、何なら広報って何なの?というのが社内の一般的な見解であることが多い。一人部署の担当者は孤独を感じることが多いんですよね。そのため、広報の価値や意義を社内に理解してもらうアプローチが必要なのですが、一人だと心折れるケースも多いようです。うんうん、わかるなあ。

 

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フェリーからみる瀬戸内海の風景。穏やかな海と爽やかな風を感じ、命の洗濯をしました。

 

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以上、一人部署の悩みをつらつらと書いてみました。周りの広報仲間と話していると、一人部署をずっと続けるのは大変なので、続いてもせいぜい数年。その後、経験を積んで転職をするか、ほかにも人を雇ってチームとして成長するかのどちらかという意見が聞かれます。ここを頑張り抜けるかどうかも、個々人の努力によってくるのかもしれませんね。