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日々、感じたことをつづる日記です

幸せは自分の心が決めるもの 〜結婚と離婚とその次と〜

お題「結婚」

 

先日、結婚に関するこの記事を読みました。

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友情を前提に。これは確かになるほど、と思います。
自分たちの場合も、友情に近いものは確実にありました。でも離婚という決断をした。他に何が必要だったのだろう、と自分の経験を振り返りました。


私もかつて、結婚していたことがあります。
友だちのような関係で、人としての信頼関係はあったけれど、残念ながら4年を少し越えたところで離婚という決断をしました。決してお互いを憎しみあって別れたわけではなく、籍を外してからも、実はしばらく一緒に住んでいました。義弟と3人、夫婦だったときに購入した3LDKのマンションでルームシェア。それはそれで、楽しかったのですが、お互いにまだ次を探してやり直すという選択肢を考えたときに、私は家を出ることにしました。

 

夫婦がうまくいく秘訣は、きっとその夫婦によって異なると思いますが、もし自分たちにあれば良かったものってなんだろう?今夜はそんなことを振り返ってみたいと思います。

 

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結婚していた頃は、友人らを招いてよくホームパーティをしていました

 

結婚生活は楽しいことばかりでもなく、でも悲しいことばかりでもありません。私の経験では、とても素晴らしいものだったと思います。夫婦が一つのユニットとなり、力を合わせ、お互いに支え合いながら、補い合いながら歩んでいくもの。そんな記憶が残っています。

 

自分たちの結婚生活で見直すべきところがあったとすると、お互いの聖域を残すこと、ではなかったかと思います。愛し合って一緒になったとはいえ、30年近く別々の人生を歩んできた二人。まったく価値観が合致するということは考えにくく、まして性別も異なるので、そこでも大きな価値観の差があります。

 

例えば趣味のための時間の過ごし方やお金の使い方。特に時間とお金は夫婦にとって、価値観の違いが顕著に出る場面(私たちには子どもはありませんでしたが、子育て・教育も価値観が出ると言われますね)。ここを互いに干渉しすぎると、夫婦生活が息苦しくなってしまいます。理解はできなくても許容する、これがとても大事だったように思います。当時の私たちは、お互い真面目すぎたせいか、夫婦とはこうあるべきという考え方に縛られ、常に議論というか意見を戦わせていました。完全に折合うことなどないというのに。

 

次第にケンカすることに疲れてきた私が思うことというのは、夫婦だから、どちらかが折り合わなければならない。彼が折れないのであれば、私が折れるしかないということ。彼の考え方は遊び(=余白)はないものの、ある意味では正しいと言える、そう思ったとき、彼の意見を受け入れなくてはならないと考えるようになりました。

 

自分の両親を振り返ってみたときも、これは時代の向きもあろうかと思いますが、やはり妻が夫を立て、夫に付き従う妻の姿が家庭にはありました。そう思うとなおさら、意見をする気力がなくなっていったような気がします。

 

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なんだかちょっと、暗いですね・・苦笑

 

とまあ、お互いの聖域なく干渉を続けた結果、私が耐えきれなくなり、話し合いの結果、離婚という選択をすることとなります。

もちろん、30歳をすぎて、また独身になるということに、不安がなかったわけではありません。仕事はもちろん、バツイチの自分が、また誰かと一緒になれるのだろうかとか、年齢的に誰にも相手にされないのではないかとか・・それはもう、いろいろ悪いケースを想像しました!笑)それでもこの決断を推し進めたのは、この先何十年と、相手との関係性を維持しながら結婚生活を続けることの想像ができなかったからです。正直な気持ちとして、自分らしく生きたいという思いが勝ったんですよね。愛してくれた彼には、本当に申し訳ないと思っています。

 

離婚後、まったく地縁のない東京の東側に居を構え、新生活を始めます。当時、勤めていた会社が歴史に名を残すインシデントを起こし、広報部門にいた私は、日本中からの怒りやクレームを、電話やメールで休みなく浴び続けました。そして、対抗できるカウンターなどあるはずもなく、ただひたすらにお詫びをする毎日。離婚時、お金の問題はすべて彼に従い、貯金がまったくない中で一人暮らしを始めたこともあり、ベッドも買えず、フローリングに敷布団で、疲れが取れない毎日でした・・思い出すと散々な時期だったのですが、それでも小さな自由を手に入れ、新しい生活を始められたことに、生きる喜びを感じた時期でもあります。

 

婚活、結婚、(不妊・妊娠・出産)、離婚。
自分のそれらを振り返ってみると、すべてはスタートであり、その地点から次のステップに進むことが、そのまま自動的に幸せを保証するものではなかったと思います。人それぞれ、置かれている環境は異なりますが、どのステップに進んでもその時々の迷いや悩みがある。そう考えると、自分がどこにいても、幸せを感じられる心の受け皿を持っていることが大事なのかもしれません。今後、少しずつでも、幸せを感じられる力を育んでいきたいなと思います。

 

なお、離婚後、しばらくしてから婚活を始め、お見合いパーティ、オンラインマッチングサービス、結婚相談所など、考えられる手は尽くしに尽くし、怖いもの見たさで怖い思いもし、波乱やアクシデントを何度か経験しました。今思えば、これらもいい思い出なので、いつか書き記してみたいと思います。恋愛市場から脱落した今、心穏やかではありますが、幸せを感じる力がちょっと弱い気もするので、謙虚な気持ちで今を幸せに生きていこうと思います。

 

独り言のような話に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。