フリーランスになって一ヶ月半、アウトローなキャリアに思うこと
この2月からフリーランスPRとして、新たなキャリアをスタートしました。タニモクとかコミュニティの勉強会で「いつかは独立したい!」と宣言していたものの、こんなにあっさり実現することになろうとは予想しておらず・・。でも、クライアントにも恵まれ、今は自分らしく生きています。再会した友人たちからは、顔つきや表情がよくなったと言われるようになりました。今までどんな顔してたんだ(笑)。
こうしたキャリアチェンジをきっかけに、キャリアに悩む友人(大半が女性)から相談を受ける機会が増えてきました。意外と実は、自分と同じように悩んでいる人って多いのかもしれないなと。また、先日参加した「ZENTech Night」というイベントでは、NHKの「プロフェッショナル」で拝見して以来ずっとファンだった、森本千賀子さんのパッションあふれるお話を聞いて刺激を受け、改めて自己開示の大切さを感じました。そんな背景もあって、自分のこれまでの人生の棚卸しもかねて、ブログ記事を書いてみようと思います。
久しぶりに再会した友人と訪れた、麹町のカフェ
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キャリアのスタートでつまずき、就職浪人
大学を卒業したのは2002年。時は折しも、就職氷河期。なんだろう、この生きづらさは・・との思いを抱えていたので、順当に就職活動ができるはずもなく、アウトローなキャリアがスタートしました。とりあえず、大学を卒業したものの、やりたいことがわからない。就職浪人をしながら、周りのすすめもあって試験勉強をして、公務員になりました。「役人」という響きが個人的には気に入っているので、こういう話をするときは、いつも役人だったと話しています。ちょっぴりの自虐とそこへの愛が込められています。
大学で言語やコミュニケーションの勉強をしていたので、なんとなく広報の仕事をしたいと思っていたら、幸運にも広報部門に配属。ファーストキャリアをPRでスタートさせることになりました。私はこれまで、いくつかの企業を転々としていますが、キャリアは一貫してPR/IRに従事しており、フリーランスPRとして働き始めたベースがここにあります。
就社ではなく、就職がしたかった
その後、役所をやめて、いくつかの企業で働くことになるのですが、一貫してPR/IRの仕事を続けてきました。就社ではなく、就職がしたい。幼ながらに専業主婦の母親が、家計を工面して苦労する姿を見ていたので、自分自身の力で生きていきたい、そんな思いが小さな頃から芽生えていました。そのために、プロフェッショナルといえる領域を築きたいとずっと考えていました。
なぜ、PRなのか、当時は明確な答えをもっていたわけではありません。ただ、誰かが発している意見や考え方って、実は誰かが発したもので、そういう、世論=空気感みたいなものに興味をもっていました。大学では、コミュニケーション論や言語論を選び、元々は人と相対することが好きで(今はそうでもないかも?と思うこともあるものの)、正解のない仕事を面白いと感じるタイプです。
世間が認める「よい」ものにのっかり、違和感に苦しんだ十数年
私が中学生の頃、父親は念願の夢だった脱サラを果たしましたが、その後、バブルが崩壊。家計はなかなかに大変で、そんなこともあってか、2人の姉はグレてしまい、家に帰ってこない始末。そんなカオスな家庭環境の末っ子として育つと、親を心配させてはいけない、自分の食いぶちは自分でなんとかしなければならない、という強迫観念にさいなまれることとなります(笑)。とりあえず、世間がいいと言っている大学に行き、いい会社に入ろう、そのためには田舎を出て東京に行こうと。家計がそんな状況だったので、実家からの仕送りをほぼもらわず(もらえず)、奨学融資ローンと奨学金、アルバイト収入でやっとのことで大学を卒業。30歳を越えた頃には、中学時代から借りてきていた奨学金、700万円相当を完済することができたのですが、当時をよく知る友人には、よくグレなかったねと言われます。なんというか、社会に対する反骨精神とか、妙な正義感だけが自分を支えていたように思います。
そんな家庭環境だったので、何がなんでも経済的に人並みの水準になりたくて、世の中がいう「よい」という基準を安易に選んできました。そこで学んだことはたくさんありましたが、どこかで自分の居場所はここではない・・という違和感を常に抱え、もやもやした社会人生活を送ることになります。その期間10年以上、ですかね。
ただ、父親の背中を見ていたので、まさか自分が会社勤めをやめることになろうとは意外だったのですが、一時期は恨んでいた父親の背中を無意識のうちに追いかけていたのでしょうか。
自分の人生を生きるしかない、と思って始めたフリーランス
これは万人におすすめできる方法ではないのですが、私のような不器用な職人気質なタイプは、この道は性に合っていると思います。
組織の中で期待に応えることは得意なんだけど、決して好きなわけではない。そんな自分が探していたのは、安心できる場所や関係性でした。最近話題の心理的安全、ですね。
今、PRで関わっているキャリア解放区というNPOがあるのですが、そこがまさに、それを体現しています。
就職活動でつまづいた若者と採用難で困っている企業とをマッチングさせる「就活アウトロー採用」というサービスを提供しています。こちら、ウェブサイトをご覧いただくとわかるのですが、かなりシュールで「ここまで言っちゃう!?」みたいな振り切れよう。彼らの考え方として、年収や会社の規模、福利厚生など目に見える条件だけで選ぶアプローチには限界がある、というものがあります。
事実、集まってくる若者と話をしていていると、世の中的に「いい」企業に入りたいわけじゃなくて、自分にとっての「いい」企業に入りたいとの思いを持っています。でも、それって、従来の探し方だと見つからない。なので、若者と企業が心理的に安全と思える場をつくり、ありのままの自分をさらけ出すことで、お互いの相性を確かめ合いましょうというサービスです。
つい先日、このサービスの開発当初から数十人も採用してくださっている外資系企業の方とお話しする機会があったのですが、誰も辞めていないとのこと(すごく嬉しかった!)。入社後のミスマッチが少ないのも、このサービスの特長です。
「就活アウトロー採用」合宿のシーン、みんな本当にいい顔をしている
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ここの代表とは数年前、「タニモク」のイベントで出会って以来、ロックな人生を送っている人だなあと遠巻きに眺めつつ、人生の節目で相談に乗ってもらったりする関係が続いていました。まさか、その数年後、彼とお仕事をご一緒することになろうとは・・想像したような想像しなかったような、なのですが、直感的に応援したいと感じたことを覚えています。
この「共感」がどこからきているかというと、まさに、自分のキャリアがアウトローだったから。今となっては、私の生き方を面白がってくれる人も周りに増えてきましたが、転職回数をネガティブに捉える人がそれなりにいたのも事実です。ただ、キャリアや生き方に唯一絶対の正解はないし、人それぞれに適したアプローチは異なるのが自然なんじゃないかと。はたから見れば華々しいキャリアを歩んできた人たちが、私のようなアウトローな人間に、キャリアや人生の悩みを打ち明けてくれるのは、そういうことなのだろうと思います。
そんなわけで、今後、共感できる人たちを応援しながら、自分自身の過去の傷を癒し、そうしてまた、傷ついた誰かの傷を癒す助けになりたいと思っています。
最後に。
自分自身を知る上で、結構役に立つと思っているのが、ストレングスファインダー。このツールは、「人は自分の弱みを改善するよりも、自分の強みに意識を向けそれを活かすことで最大の能力を発揮する」という考え方に基づき開発されたもので、34項目にわたって自分の強み・弱みを知ることができます。私の周りにいるビジネスパーソンの間ではおなじみで、半ば共通言語化している空気も。キャリアや生き方に迷ったとき、こういった分析ツールで、自分の潜在的な資質を知るのも一つの手かもしれません。
こちらが私の強み上位5つと弱みの5つ。
回復志向は物事を本来あるべき姿に戻すという考え方で、医療や福祉系の人によく見られる資質なんだそう。他方、慎重さと戦略性に欠け、競争が苦手みたいですね(苦笑)。なお、私の周りのビジネスパーソンは、私の苦手分野を得意とする人が多い傾向にあって、そういう人たちと引き合うのは面白い。自分と異なる強みを持った人たちとチームを組むと、補完関係になるそうです。
そんなわけで、私のような不器用な人間でも生きていける社会になりますように!との願いを込めて、地道にPRのお仕事を続けていこうと思います!